私が人生の軸に置いていることは学ぶことです。私の人生の背骨には学習があります。なので、なんでそんなに学ぶことが大切なのか、それを一緒に頑張ることの意義なんかを少しずつ子どもたちに伝えていきたいというのが私の願いです。学習サロンで知り合う生徒をはじめ、保護者の方、これから一緒に働いてくれるかもしれないスタッフ。
全ての人たちにこの思いを共有していきたいと思ってます!
とはいっても、暑苦しく「学びは大切なんだ!!」と言われても、わかってるよそんなの!!だけどうちの子は勉強が嫌いなんだという親御さんや、本人たちだって、学ぶことが大切なのは知ってるけど、やる気が出ないんだよとか、色々な声がありそうです。
なので、ここでは、おりに触れ、私自身の話をしてだんだんと、少しずつ伝えていきたいと思ってます。
まず、私自身の話をすると、親がいわゆる教育ママで、ありがたいことに3歳から英語に触れ、塾にも行き、散々「大学に行け」と言われました。
私は思ってました。「あなたは高卒で、正直一般常識だってままならないことがあるのに、なんでこんなに勉強しろ」って言われないといけないのか。
学校でも特別成績が良くなかった私は、本当に勉強は嫌いでした。
だけど、そんな私にも転機が訪れました。
それは、中学で通いはじめた塾の先生との出会いです。
そこでは、東大卒の難しい物理学を研究することが趣味で、偏屈な先生がいました。仲良くなれるか思春期の私はとても不安だった。私は、親に連れられるままに、その塾に入って、なんとか成績を伸ばそうと思ってました。だけど、その先生はいくら経っても学校の勉強は教えてくれません。
とんでもなく汚い字で書かれた自作のプリントを渡されます。そこに書いているのは、古文で書かれた英語・シェイクスピアの原文。ギリシャ語・ラテン語・ヘブライ語。
中学生の私には当然チンプンカンプンで、普通の英語さえ完璧ではない私は困惑したのです。
でも、その先生は自信満々に言うのです。「君は英語が得意だ、言語理解能力に長けている。あとは諦めて、言語を学べ」と。
中学の定期考査の成績よりも、学問をしろと。
最初は訳も分からなかったのですが、旧約聖書やら、哲学やら、言語の歴史やら、そんな話、雑談をたくさん私にその先生はしてくれました。
私は思いました。この先生は私を中学生ではなく一人の人間として学ぶということの楽しさを共に享受してくれていると。一人の人間として対等に、「シェイクスピアのこの表現について、君はどう思う?」と問いを投げかけ、辞書のおもしろさ、語源を知ることの楽しさ、知の泉はどこまでも深く、世界がどんどん広くなる楽しさを知りました。
学問の世界はとてつもなく広く、美しいことを私は知りました。
そんなことをしていたので、学校の点数はそこまで上がりませんでしたが、学ぶとは、こういうことなのかと感じました。
私はもちろん、学習サロンでは、きちんと、テスト範囲の内容を教えますし、言語学や哲学を子供たちに叩き込むことはしません。ただ、そうやって世界が広がる体験を少しでも伝えられる先生に私はなりたいなと思ったことも事実です。
現に、私は今学ぶことが楽しくて仕方がない大人になりました。疑問に思えば、本を読み調べ、どこまでも知らない世界を広げる楽しさを知っています。
そういう私を私は誇りに思ってます。なので、塾の先生にはとても感謝しています。
だから、目の前のテストの点数なんかに、振り回されることなく本当は学ぶことだけを軸にした教育ができたらいいなとかも思います。ですが、現状なかなか、そうも言ってられず、もどかしいですが、子どもたちに寄り添い、何が最適なのか一緒に考えることが私にとって、理想の講師像です。